双極性障害だし色々あるけど何とか生きている女の雑記

2015年1月に仕事のストレスをきっかけに双極性障害を発症した現在33歳の㊛です。カフェバイトをしながら不妊治療してましたがすったもんだあり、色々リスタートしました。病気のこと、不妊治療のこと、お仕事のことなどつらつらと書いております。ほぼ日記。よかったらお付き合いくださいませ♪

【前編】これまでの不妊治療記録(2017年7月~2018年9月現在)

こんにちは、まーやです^^

 

さて、今日は自己紹介がてら、自分のこれまでの不妊治療記録について、自分の持病(双極性障害)の話も交えながら振り返ってみようと思います。不妊治療でかかっている病院名についても可能な範囲で公開しようと思います。

 

私の持病の経過については一度きちんと振り返りの記事を書こうと思いますし、一見妊活とは関係ないのですが、私の不妊治療に対してのスタンスや治療方針はこの病気の経験が大きく影響しているので、自分都合ですが書いておきたいと思います。

 

🌸もくじ🌸

 

この前半では、病気の発症~本格的な妊活を始めるまでの準備期間のところまで書きますが、かなり暗い部分もあります(´;ω;`) 見たくない!実際の不妊治療歴についてだけでいいよ!って方は今回は読まずに後編の更新をお待ちください♪

 

 1.入籍~私が双極性障害?!?!一気に障害者デビュー

2014年11月22日。20台最後のいい夫婦の日、私は約3年お付き合いしていた方と入籍しました!幸せいっぱい夢いっぱい!の、はずだったのですが・・。

 

当時勤めていた会社がかなりのブラック& 激務で、結婚を機にやめようとしていたのに!!のに!!!退職交渉がうまくいかず、逆に激務に加えて上司のパワハラ的叱責がエスカレートするようになってしまいました。そんな日々が続いた中で、ストレスが限界を超えた私は

 

双極性障害

 

という病気を発症、「そう状態」になってしまいます。 

双極性障害とは、ひとくちに言うと気分が上がりすぎる「そう状態」と下がりすぎる「うつ状態」を繰り返す病気です。) 

 

当時の「そう状態」の症状としては

👻幻覚・幻聴

(実際にはないものが見えたり聞こえたりする、さらにそれを真実だと思い込む。幻聴ちゃんとふつうに会話していました笑 現実は現実で見えていて、そこに幻覚幻聴も私としては「現実」として加わる感じです。当時飼っていた実家の犬に死んだおばあちゃんが憑依して(いると幻聴により思い込んで)色々会話してました。。ホント傍から見たらまったくもっておかしい人です(´;ω;`))

👻妄想

(全然根拠がないのにいろんなことを想像して、なぜかそれを信じてしまっていました。見た夢を真実と思い込んでしまったのもあります。)

👻万能感

(私は凡人とは違う!という謎の自信に満ち溢れていました。しかし実際の行動はすべて頓珍漢。)

👻攻撃性

周りを見下し、攻撃的になり傷つける行動・言動をたくさんとってしまいました。会社では社会人としておかしい行動もたくさんしてしまいました。これで疎遠になってしまった友人も複数います😢また、一番ひどかったときは夫や家族、診てくださった医師に対しても考えられないくらいの罵詈雑言を浴びせました。妄想や幻覚なども入っていたのでそれはそれはひどかったです😢

って感じです(;^ω^) 

 

ホントに文字通り「おかしく」なってしまった私はそのまま会社を退職、夫は働きながら私のケアをするのが難しいということで実家で「半入院状態(本当は入院しなきゃだめだけど、私が断固拒否したので自宅で入院と同じような状況を作る、という意味で当時の主治医はそう表現していました)」となりました。

 

それまでブラック企業ではありましたがバリバリ働いてお給料も結構もらっていたし、それなりに「キャリアウーマン」だった私は、一気に

 

「無職の障害者」

 

になってしまったのです…。

 

2.そう状態から一転、うつ状態になった私

会社を退職し実家で療養→心療内科で治療を続けていく中で少しずつこの「そう状態」はおさまってきました。調子が良くなってきたということで自ら希望し夫がいる自宅に戻って療養生活を続けることに。が、今度は一転「うつ状態」が来てしまったのです。

 

ごはんもほとんど食べられず、ただただぼーっと横になっているだけ、何もする気力がわきません。ひたすら「消えてしまいたい」と考えていて、当時ちょうど春だったのですが夫に「散歩してきな」と言われて嫌々出た外で綺麗に咲く桜を見て、「こんなに自然は価値があって輝いているのに、自分はなんて意味のない存在なんだろう」と涙を流したりもしていました。

 

また、当時症状をおさえるために私は「リーマス(成分名&ジェネリック名はリチウム)」という薬を処方されていたのですが、それは妊娠には禁忌とされるお薬でした(奇形児が産まれてしまうリスクがある)。

当時の主治医からは「今は症状を抑えるためにこの薬があなたには必要だけど、症状が落ち着いてきたら妊娠でもOKな薬に変えるからね」と言われたのですが、

 

「私は障害者だ。もう一生良くならないだろうからこの薬も飲み続けないといけないだろう。だから私は一生妊娠できないんだ、むしろこんな障害者の私は妊娠なんてしてはいけないんだ。」

 

と思い込み、毎日泣いていました。

 

さらに気づいたら、発症前は毎月規則正しく来ていた生理も止まっていました。

 

「生理まで止まってしまった。私はもう女でもないんだ。」

 

そう思いまた、泣いていました。

 

当時は夫にも日々ネガティブなことばかり言ってしまっていました。悲観的になり過ぎて「あなたと結婚しなければよかった」と言ってしまったこともあります。当時彼なりになんとか気持ちを上向かせようと頑張ってくれていたのですが、私の気持ちはどんどん下がる一方。新婚で幸せな日々を送るはずだったのに、いきなりこんな風になってしまうなんて、彼は本当につらかったと思います。今でも思い出すと申し訳なさと感謝で泣けてきます。よく離れずにいてくれたなぁと思います。

 

そしてうつ状態が極限まで悪化した結果、私は全く寝れなくなりました。そして何も食べられず飲むこともできず、ただ床に転がっていました。そんな日々が数日続いたのち、私は意識を失ってしまうのです。

 

3.地獄の入院生活スタート。

意識を失っている間に、私は家族により大きい精神病院へ運ばれていました。そしてそのま入院。目が覚めたときには窓のない真っ白な部屋の中で、手も足も拘束されていました。まさか自分がこんなところに。毎日暴れて、泣いて叫んでいました。

 

拘束は何日かで解けたのですが、今度は私は歩けなくなっていたのです。

 

脳に急激に多大なストレスがかかった結果、「このままだと命が危ない!」と脳が働きをストップし、結果、神経が麻痺してしまったそうです。足はピーンと伸びてしまい(尖足といいます)足首が曲がらず立つことも歩くこともできません。さらに手指もうまく動かせず口もスムーズに動きませんでした。気づくとよだれが垂れました。

 

精神障害者になり、生理も止まって女として終わっただけでなく、体までおかしくなってしまうなんて…」

 このときは本当に、うつとかそういう次元じゃなくこの世の終わりだと思っていました。

 

幸い、リハビリと投薬を続けることで体はほぼ元に戻りました。そして三か月半という長い時間がかかりましたが、私は回復、退院となりました。

 

治療により精神状態が回復し食事もきちんととれるようなったことで、入院中の終盤に、4か月間止まっていた生理が来ました。病院のトイレの中で一人ガッツポーズをとったのを覚えています。

 

妊活中の今ではうらめしい存在の生理ちゃんですが(;^ω^)生理が来るというだけでも感謝しなきゃいけないよなと、このときの経験で思えます◎

 

4.晴れて退院!リーマスの断薬をスタート

入院時から面倒を見てくれていた主治医には「将来は妊娠したいから、リーマスはやめたい、また、妊娠に負担のない薬に変えたい」と伝えており、主治医も理解して協力してくれました。そこから何か月もかけて、少しずつリーマスの飲む量を減らしていきました。半年ほどかかりましたが、当初400㎎飲んでいたリーマスをゼロにすることができました。

 

そして主治医から、「妊娠と薬情報センター」の受診を提案されます。

 

医「僕もよくわからないんだけど、今飲んでいる薬が妊娠するにあたって大丈夫な薬かどうか聞けるみたい。正直僕も妊娠を希望する方への処方わからない(←って言い切ってた笑)ので、聞いてきたらいいと思いますよ~」

 

当時は正直なんで医者なのにわかんないのさ(# ゚Д゚)って思ったけど、今となっては、本当に行ってよかったなと思うから先生に感謝!!

 

 

以上、前編をお送り?!しました笑!

次回は、下記を書きたいと思います^^

5.妊娠と薬情報センターへ 薬を飲みながらだって妊娠できる!

6.結婚式を終え、妊活本格始動

7.大学病院での不妊検査&不妊治療スタート

8.転院~現在

 

 

 今回なんだか重い話ばかり書いて申し訳ないです💦💦

この過去があってよかった、とは正直思えないです。病気なんて障害なんてない方が絶対に良い。けど、この経験があったからこその考え方、生活、将来の目標にいい意味での変化があった(自分自身でもつくることができた)ので、そこは自分自身認めてあげたいなと思います^^

 

それでは、最後まで読んでくださりありがとうございました!